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中上健次生誕80年祭に向けて−「オガイケ」問答−
中上健次生誕80年祭に向けて−「オガイケ」問答−
 
  高澤 秀次◇◇
 
 1985年に始まる私の熊野・新宮詣でも百回に近づいたはずで、中上健次のことを書くのは、もう、よさなければ・・・と思いつつ、なお、私にしか書けないいくつのことが残っていて、生誕80年に際しての熊野大学への報告としたい。

 その一つは、初期のエッセイ「萎びた日向くさい南瓜」で語られた、「オガイケモン」のことだ。これは、ネズミ浄土についての母からの聞き書きに記された、「キンジニヤニヤ」(『紀州 木の国・根の国物語』、「古座」)の一語とともに、中上に仕掛けられた解けない謎のような「声」であった。

 よく説経節の真似をして語ったという母方の祖母は、「十七、八になって、男と駆け落ちて、峠を越えて、古座川に降りてくる。子供を次々と産み、世帯にくたびれ苦労しはじめた祖母をみかね、曾祖父は、畑に出来た物を持ってくる。峠を越えるのに二時間はかかるので、曾祖父のかごに入れたものは、ことごとくしなびて、ひなたくさい」

 「オガイケモン」は、この祖母から中上の母に語り継がれ、作家となった中上には意味不明の呪文だった。

 芥川賞を受賞した後に、中上は再び「オガイケモン」について語る。

 「芥川賞がきまってからしばらくして、週刊新潮の女の人が、書け、さがしたいものとか、訊いてみたいものはないか、と言った。それで書いた。説経節や誓文の一つだと思うが、「オガイケモン」とは何だろうか、母からきいた言葉だが、死にかかっている母の昔を解く鍵言葉だと書いた。「なんでしょうね」と、編集者は言った。しばらくして、封筒に入れて、読者から葉書きが廻送されてきた。全部で十通ほどあったか。浄土真宗の、「領解文」だと書いてあった。編集の人の、「知っている人はいるものですね」と、文章も入っていた。葉書きの一つに「あなたのお母様は信心深い人です」とあった。別の葉書きは、「私が悪いという言葉でしょう」とあった。短篇の小説家でもある私は、その「私が悪い」という一枚の葉書きにとびつく。母は、心臓病で寝たり起きたりしている。三人の夫を持ち、数えるのがいやになるほど恋人を持ち、男の、子供を孕み堕ろした母は、いま、妾を囲い浮気してまわる夫を離縁もできずにいる。母の気性から察して、不実な男などがまんできかねる。
 私が、悪い。
 子供の私から言ってみれば、ききたくもない言葉だし、同時に、母から聞きたくてしようがなかった言葉である」
                  (「詩は軽蔑に値する」)

 それ以上に中上が、「オガイケモン」を深追いした気配はない。

 だが、私にはなお疑問が残った。そこで中上の死後、熊野大学俳句部の長老・松根久雄さんの車で、古座から中上の祖母が超えた峠の向こうまで行き、「オガイケモン」の痕跡を求め取材を試みた。結果は、全くのお手上げであった。 

 ただ、中上の母の実家を継ぐ家が古座西向で、映画『火祭り』で露天商役の子鹿番が商っていたのと同じ刃物(包丁の類い)を扱う生業に就いていることを知った。

 「オガイケモン」への私のアプローチが、一挙に進展したのは、五木寛之の『日本幻論』に当たった時だった。ここに、少数の仏教関係者を前にした講演「『かくれ念仏』の系譜」が収録されており、重大なヒントというよりは、かねてからの疑問が氷解するほどの収穫を得ることができた。

  やはり、浄土真宗(五木氏によれば「本来は明快な一神教の宗教」)につながることは確かで、九州地方の隠れ念仏の一流派「カヤカベ教」(俗称)と深く切り結んでいるらしいことが、その講演から腑に落ちるように分かった。

 歴史的には、明治の宗教政策により、表は「神道」の裏宗教として、真宗の「仏教」が隠されているというのが、「カヤカベ教」の実態なのであった。

 もっとも事態はなお複雑で、それは「カヤカベ」という秘教が、西本願寺系とは言え、さらに神道的なものと習合した「神道霧島講」の側面を隠し持ち、本山からは「異端」の裏組織として、脈々と地下水脈を保ち続けてきたからなのだ。

 さて、それがどこでどのようにして、中上健次の母方の信心の符牒「オガイケモン」として、紀州古座の峠の向こうにたどり着いたのかは、なお不明ではある。

 五木氏によれば、この教団は文書というものを持たず、「本来、文字にたよることのない、口伝ひとすじの宗教」だった。そして、座の勤行として、オナグラ、モウシワカイ、オキョウ、オガイゲ、オツタエなど、いくつかが確かめられる。

 そこで「オガイゲ」=「オガイケモン」である。五木氏はそれを、「改悔文(がいけもん)」のことだと解き明かす。中上の先の引用文にある浄土真宗の「領解文」と同じで、信仰告白文のことのようだ。「改悔文」は真宗大谷派(東本願寺)の呼称、「領解文」は、本願寺派(西本願寺)での呼び方らしい。

 問題は中上健次が真っ直ぐに、「オガイケモン」という呪文の「解」として、「私が、悪い」という読者からの葉書きにとびついたことだ。真宗という「一神教」の信仰告白に、懺悔の要素が加わることに何の不思議があろう。

 その昔、ルーツである筑後平野のはずれの山村で、後の『風の王国』の作者・五木寛之も聞いたという、秘密めいた「カヤカベ」という響き。文字にたよらず、文書をもたないというより、おそらくそれらを暗黙に拒否したこの隠れ念仏集団の呪術的「隠語」として、「オガイケモン(文)」は、なるべくして「オガイゲ」から変成したのではなかったか。

 かつて、筑後平野の秘境で、そして年を経て紀州古座の峠の向こうで。それは、何らロマンティックな幻想の産物ではない。国家の宗教政策から遠く疎外され、かつては「異端」であったはずの真宗本山(一向宗)のさらなる「異端」として潜伏しつつ、カヤカベ教の「オガイケモン」は、南紀の陽を浴びた、「萎びた日向くさい南瓜」のように、新宮の作家の元に届いたのだ。

 「オガイケモン」、「私が、悪い」は、九州から、紀州の同じ「辺境最深部」(太田竜)へと遙かなる旅路を「東征」してきた。まさに、神武東征神話の真逆を行くような、細々とした「声」の伝達として。

 だから、中上健次は、そんなこととは無縁に、知の表街道に躍り出た、書き言葉に偏した「詩は軽蔑に値する」と決然と言い放ったのである。決して上から目線ではなく、無名時代に、早々と挫折した詩人の自己嫌悪としてだ。

キンジニヤニヤ猫の声すればよ!
ここは袋の御用ねずみよ!

 「オガイケモン」は、漢字を読めなかった母ちさとが、同じく祖母から聞いたであろうこのネズミ浄土の「声」のすぐ傍にあったはずだ。

 西日本における文字を介さない、「かくれ念仏」の歴史に埋め込まれた「東征」、それこそが中上健次という希有な作家を奇跡的に生んだ最大の秘密であることを、私は(ごう)も疑わない。
 

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